今は昔


先日、熊谷で40度を超えた日に、仕事で埼玉県に出かけた。
東武東上線の小川町付近の線路が、猛暑のために歪んで、
一時、電車が不通になった日。


池袋から東武東上線に乗ったが、車窓の景色が、随分変わった。
親戚が、練馬区東武練馬と埼玉県の志木(しき)にあって、
小学生の頃遊びに行った。
当時、練馬には、畑も多く、緑も豊かだった。
私は、押し花を夏休みの自由課題で作った思い出がある。
祖母と野の草花を摘んで、押し花にした。
埼玉の志木もまた、武蔵野の面影がある町だった。
荒川の土手を、牛が歩いていて、ビックリした。


友人と小学5年の時、東京の羽田から、
埼玉の新座(にいざ)までサイクリングをしたことがある。
往復、100キロ近かったのではないか。
当時、練馬には、キャベツ畑が広がり、
新座の茅葺(かやぶき)の駄菓子屋で、アイスキャンデーを買って食べた。
朝の5時に出発して、夕方の6時頃帰った。
冒険気分だったが、家に着き、ホッとしたのを覚えている。


今、東武東上線の車窓からの景色は、川越近くまで、ほとんど宅地化された。
1970年代ごろは、成増(なります)より先は、結構畑も多く、
朝霞あたりからは、武蔵野の雑木林もあり、田園風景が広がっており、
まだ、国木田独歩の「武蔵野」の面影が残っていた。
そんな取り留めのない往時を、ぼんやり車窓を見ながら考えていた。