男の作法


池波正太郎の「男の作法」を読んでいる。
この新潮文庫版の「男の作法」はシンガポールで買ったもの。
もう20年ほど前に海外駐在していた時、
日本の活字が読みたくて購入した本だ。
当時、20代だった私には、こんな池波正太郎の文章が印象深かった。


「若いときの金の使いかたは、残そうと思ったら駄目ですよ」
「自分の小遣いというものがなくなっているわけだからね。
 小遣いがなくなると同時に、世の中から余裕というものが失われてしまった」
「男の小遣いというものがあれば、それなりに世の中を潤すものなんですよ」


「小遣い」と「余裕」「小遣いが世の中を潤すか」・・・・・・
そんな薀蓄のある言葉に、その通りだなと思わずにいられなかった。
そして40代の私は、こんな文章に「ハッ」としてしまうのだ。



「人間とか人生の味わいというものは、
 理屈では決められない中間色にあるんだ。
 つまり黒と白の間の取りなしに。
 その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、
 白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね、いまは」


池波正太郎の人生観というか、鬼平の生きざまというか、
そんな事を感じる文章だ。
特にこの文章の「取りなし」という語句の使い方が絶妙だ。
この「取りなし」という言葉が生きているからこそ、
文章の味わいが深まっているのではないか・・・・



「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように
 揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ、
 てんぷら屋のおやじは喜ばないよ」


なんとも痛快にして、的を得た池波流のてんぷらの食べ方だ。