名和晃平展ーシンセシスー魔法の表皮


考えて見れば、わたしたちは地球の「表皮」の上で生活している。
地球をリンゴに例えれば、
地球の「地面」はリンゴにとっての皮より薄い表皮でしかない。
そんな「表皮」の上に、文明社会をわたしたちは築いている。
まことに高度にして危うい世界を、
わたしたちは生きているのかもしれない。


東京都現代美術館で「名和晃平展」を鑑賞。
名和晃平(なわこうへい)のテーマは「表皮」だ。
「表皮」を通して対象をリアルに捉える名和晃平
ビーズやブリズム、ポリウレタン、シリコーンオイルなど、
流動的な素材を生かした作品群。
揚げ物の衣のようでもあり、純白の樹氷ようにも見え、
また南海のサンゴのようでもあり、
ムースのようでもある「表皮」の作品の数々。
素材をこれらの表皮が覆い、独特の世界が現出される。
定型である事物が不定形に変わることでもある。
定型が喪失して不定形となるのだ。


それは彼の作品でいえば、
動物の『鹿』という事物に、
スポンジ状に発泡する「表皮」の厚みを持たせることで、
事物(記号)としての「鹿」の要素が消えてゆく。
より無機質となり、
本来のポリウレタンの本質であるところの物質となってゆく。
定型であった「鹿」の姿が喪失してしまい不定形になるのだ。
それは、彫刻家が不定形な石を彫り、
定型の事物を彫りあげるのと対照的だ。
無機質な石からダビデ像を彫ったミケランジェロとは、
異質の芸術家としてのアプローチだ。


それにしても人間はその表皮を剥いでしまうと、
人間という生物になってゆく。
個々の個性は抹消されてしまう。
記号としては「人類」となり、
一様になる。
人体模型のように・・・・


表皮とは個性を生み出したり、
無機質にしたりする魔法のベールだ。
大震災を経験したからなのかもしれないが、
地球上の文明も薄皮一枚で成立しているような、
そんな気がしてならない・・・・