オスカルの美


最近読み直している漫画本。
それは池田理代子の「ベルサイユのばら


「美」としてのオスカルがあるのではなく、
オスカルの存在そのものが「美」なのではないか・・・
ベルサイユのばら」を読み終えたわたしの感想。


男装の麗人オスカル。
スウェーデンの貴公子フェルゼン。
オスカルの影となり守るアンドレ
そして絶世の美女、フランス王妃マリー・アントワネット
革命の激動の時代へと突き進むフランスを舞台に、
ストーリーは展開する。


わたしが興味深いのは、作画の美しさもさることながら、
葛藤する登場人物の人間模様だ。
女性でありながら男として育てられたオスカルをはじめ、
アンドレ、フェルゼン、アントワネットは身分違いの恋に悩む。
二律背反(にりつはいはん)の渦に巻き込まれる、
オスカルたちから読者は目が離せなくなる。
オスカルが男として、武官として育てられながらも、
初恋の相手は男性のフェルゼンであった。
オスカルがドレスアップをしての舞踏会。
恋するフェルゼンとダンスをする姿は優美そのもの。
女心に目覚めたオスカルの心が切ない。
アンビバレント」に軋む、
オスカル、フェルゼン、アントワネット、アンドレの姿は美しい。


美しさに男女はない。
この「ベルサイユのばら」の主調音は、
魂の気高さ、美しさに、男女の違い身分の差はないのだ。
そんな世界を感じるのだ。