1969年の二人


アポロ宇宙船が月面に着陸した1969年、
昭和26年生まれの二人の歌手がデビューした。
カルメンマキと藤圭子
二人は当時のアイドル、黛ジュンの極北に位置していた。
ミニスカートと明るいアップテンポな歌声の黛ジュン
「好きなのにあの人はいない、話し相手は涙だけなの・・・」
夏の海水浴場でよく流れていた「天使の誘惑」


カルメンマキは、
「時には母のない子のように黙って海を見つめていたい・・・」
暗い目で、どこか遠くを見つめるように、
「時には母のない子のように」を歌っていた。
一方、藤圭子は夜のネオンの男と女の恋と別れを、
「バカだな、バカだな、だまされちゃって、夜が冷たい新宿の女・・・」
浪花節と流しで鍛えたドスの利いた喉で歌っていた。
作家の五木寛之は彼女の歌を「怨歌」と表現した。
マキも圭子も18歳の少女だった。
私は小学生で、この二人のお姉さん歌手はあまり好きになれなかった。
好きになれなかったが、妙に耳に残る声だった。


その後マキはカルメンマキ&OZを結成し、
「私は風」をリリースする。
私見だが、この「私は風」は日本のロックの金字塔だと思う。
この曲は中森明菜もカバーしている。


先日、藤圭子の「カスバの女」を聴いた。
凄いと思った。
当時19歳の小娘だった彼女のライブなのだが、
心に響いてくる。
マキも圭子も重厚なのだ。
ビジュアルでなく歌で勝負している。
それも己の全身を媒介にして、
「私の人生聞いてください」と・・・


1969年、東大の安田講堂全共闘の学生に占拠され、
安保闘争のデモが繰り返されながらも、
高度経済成長を日本は謳歌していた。
カルメンマキと藤圭子
二人の少女歌手の重厚な歌声が巷に流れていた。