初めての宝塚ミュージカル


宝塚歌劇団花組の「落陽のパレルモ」を観た。
主演は、花組トップスター春野寿美礼
「落陽のパレルモ」は、19世紀のイタリアを舞台に繰り広げられる愛と革命の物語である。
今回は、花組主演娘役のふづき美世のサヨナラ公演となっている。
宝塚歌劇は常に主調音として貴族の美学(貴族の美)を奏でながら、他方で、民衆プロレタリアートの革命への息吹が、輪唱のように後を追いかける。
やがて場面のクライマックスになると、高らかな合唱となり、観客の息を呑ませるのだ。
美は人を沈黙させる。
私たちは、宝塚歌劇に流れる貴族の貴公子、あるいは民衆のヒーローに純粋なる魂を見つける。
それは「落陽のパレルモ」のヴィットリオ・ロッシの生き方に通じる。
沈む夕日の最後の美しさを落陽という。
貴族社会の滅びの美しさと、自由と平和を求める民衆のエネルギー、その二つのエネルギーがぶつかり火花を散らす。それは、テーゼ、アンチテ−ゼ、ジンテーゼ弁証法の構成になている。
男と女のロマンスを描く「落陽のパレルモ
演出を担当とした植田景子氏がルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作「山猫」のラストシーンの絢爛華麗な舞踏会のシーンに心惹かれたことが、イタリアのシチリアを舞台にしたということが興味深かった。
何よりもヴィスコンティはイタリア貴族の血を引く者であり、その耽美的な表現に私も心惹かれるたからである。
甘い生活」で著名なフェデリコフェリーニ監督も、やはり素晴らしい作品を生み出しているので、宝塚歌劇に興味があるかたはぜひ
御覧あれ。
それにしても、ヴィットリオがドンブイユ公爵家に迎えられるところが、
(貴族戻り)宝塚らしいと思った。
最後は民衆(プロレタリア)でなく貴族社会であること。
そして清く、正しく、美しく、正統派であること。


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