観念の解放


「人間は自己実現の過程で疎外される」
カール・マルクス
マルクスのこの言葉は、
例えば、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」の、
こんな文章と共鳴する。


「そうして、自然がおそるべき対立物としてあらわれたちょうどそのときに、
原始人たちのうえに、最初のじぶんにたいする不満や異和感がおおいはじめる。
動物的な生活では、じぶん自身の行為はそのままじぶん自身の欲求であった。
いまは、じぶんが自然に働きかけても、
じぶんのおもいどりにはならないから、かれはじぶん自身を、
じぶん自身に対立するものとして感ずるようになってゆく。」


自然が対立物となるとき、人間は自ら自身に異和感を覚え、
じぶん自身に対立するように感じるようになる。
つまり、慎重に語句は選択せねばならぬが、
自然から、そして自己から「疎外」されるのだ。
人間は人間なるゆえに、「疎外」される。
それも、自己実現の過程で・・・・
人間は観念を獲得したと同時に、
その呪縛に縛られる。
観念は生と死とを意識化させる。
これは、動物と人間を分ける重要な起点となる。
動物の本能と人間独自の意識として生まれた観念のせめぎ合いは、
人類を発展もさせたが、疎外ももたらしている。
アダムとイブが、蛇の誘惑に負けて食べた禁断の実。
それは、観念であったのかもしれない。
観念により、二人は、自然(神)より疎外される。


「人間は自己実現の過程で疎外される」
重くて、本源的な警句だと考える。