毀誉褒貶

先日、ある業界の理事会の議長を務めた。
私は、理事の中では、一番年が若い。
理事の方は、私より年上の60代の方が多く、オーナー社長が殆どだ。
海千山千の男達だ。
喧々諤々の議論の末、ようやく議案を全て通すことができた。
議事進行の中で、自分の力量不足を感じるとともに、
自分が思うほど、他人は甘くないなと改めて思い知らされた。
朝の10時から夕方の5時まで会議ずけで、かなりのエネルギーを使った。
ハードな一日だった。
理事会終了後の忘年会の席では、
かなり厳しい質問をされた理事も、優しい目で、
「議長ご苦労様でした。」
と労いの声をかけていただいた。
少し心が、ホンワカした気持ちになった。
まだまだ、未熟なところもあるが、よくがんばったとのメッセージが伝わった。


「焦らず、あきらめず、毀誉褒貶にとらわれず、黙々と歩み続ける
 事を成すのは、こういう男ではないか」
           「歴史にみる実力者の条件」


「ねばることだ。物事をなすには、最後の五分が、かんじんだ。
詰めに成否がかかっている。あと、ひとふんばりしてみることだ」
            「外食産業の飢え」

いずれも、城山三郎の文章だ。
物事を成すには、様々な困難がある。
こうした、城山三郎の指摘した、毀誉褒貶にとらわれず、黙々と歩むこと。
最後の五分の、詰めの大切さもあろう。
今の私には、胸に沁みる言葉だ。