大相撲初場所


昨日は、両国国技館で相撲観戦をした。
枡席だったので、食事をしながらの相撲観戦となった。


朝青龍栃東を破り、優勝を飾った。
1差で追い上げていた平幕の豊ノ島安馬に敗れ、
千秋楽を残して2差がついたためだ。
朝青龍関の20度目の優勝は、史上最速の49場所目。
達成年齢は26歳3ヶ月。
同じく20度目優勝の所要場所は、名横綱大鵬が57場所であり、
達成年齢が25歳11ヶ月。
平成の横綱貴乃花が64場所、26歳1ヶ月だ。
平成19年(2007年)の大相撲は朝青龍の時代を、印象づけた。


いつも、国技館を訪れる度に感心することがある。
それは、親方衆が縁の下の力持ちとして、お仕事をされていることだ。
国技館のもぎりは、親方衆がされている。
業者に任せず、直接相撲協会の親方衆がもぎりをし、
お茶屋の場所などを教えてくれる。
新人の親方は、どんなに名横綱でも警備を担当したり、
こうしたもぎりの仕事をこなした後、審判員になる。
実際、千代の富士が引退直後、
国技館の通路の警備をしていたのを見かけたことがある。
横綱千代の富士も、こうした縁の下を支える仕事を、
親方になった一年目はしていたのだ。
それを当然としている、相撲の世界に、
古き良き日本のしきたりを見る思いだ。
以前、土俵に女性を上げる上げないで議論になったことがある。
そうしたことは、衆目の関心を呼ぶ事なのだろう。
一方で、こうした地道な相撲のしきたりも、重要なのではないか。
相撲の厳しいしきたりが、平成の日本でも継続されることを望む次第だ。


* 私は、相撲取りでは友綱部屋魁皇関が好きな力士だ。
 関取らしい品格のある風貌が、五月人形のようだ。
 取り口も、奇をてらったことはせず、
 投げを得意とした、正攻法の相撲だ。
 34歳の魁皇関は、相撲取りとして高年齢ではある。
 そんな魁皇関ではあるが、いま少し大関として活躍して欲しい。