女房役


宮澤喜一元首相が老衰でご逝去された。(享年87歳)
宮澤元総理で印象に残るのは、
首相経験者でありながら、大蔵大臣、財務大臣をされたことだ。
ともすれば、宮澤喜一という政治家は、
東大卒、大蔵省出身、英語が堪能等で、
超エリートの、近づきがたい人物。
プライドの高い人物に見られがちであった。
その、宮澤元総理が、バブル崩壊後の日本経済を立て直すため、
小渕内閣の大蔵大臣に就任した。
戦後60年、首相経験者が、国務大臣になることはなかった。


もう7〜8年前になるが、初めて組織の長を経験したときのことだ。
私は10社で構成される企業体の、
運営委員会の委員長を任された。
その際、私は副委員長に、委員長経験者のKさんを指名した。
Kさんは、同じ業界の専務取締役。
創業社長と二人三脚で、会社を伸ばしてきた方だ。
副委員長は、委員長が指名することになっていた。
ただ、他の委員から、一度委員長を経験したKさんを、
副委員長に指名するのは如何なものか・・・・
そんな批判がでた。
「委員長経験された方を副委員長に指名するのは、失礼ではないか」
そんな意見も出た。
しかし、懸案のリストラと組織改革を断行するには、
ぜひ、委員長経験者のKさんの手腕が必要だった。
Kさんは現場主義の方で、良く現場を熟知されている方、
そんなKさんの力を借りたかったのだ。


反対の委員もあるなかで、
Kさんは、快く女房役の副委員長を引き受けていただいた。
Kさんと私は親子ほど年が離れている。
息子のような私を良く補佐していただき、
バブル崩壊後の不景気で、
契約金額の減額のなかで、
リストラと組織改革を達成することができた。


そんなことをつらつら考えていていたら、
連続テレビ小説の「どんど晴れ」のある場面を思い出した。
なかなか旅館の従業員の協力を得られない、
女将修行中のヒロイン夏美(比嘉愛未)に、大女将(草笛光子)が、   
「つらいときは、素直に助けて欲しいとお願いしなさい、
そうすると、人はあなたを助けてくれる」
と、厳しい中にも優しい言葉をかけて諭す。
プライドを抑えて協力してくれたKさん。
私の助けて欲しいとの気持ちが、Kさんにも通じたのかもしれない。


宮澤元首相が、大蔵大臣をお引き受けになったとき、
どんな心境だったのだろう。
総理大臣経験者が担当大臣になることに、心の葛藤はなかったのか・・・・
プライドの高いと思われていた、宮澤喜一氏だったが、
国家国民の為のご決断だったのかもしれない。
宮澤元総理は、真のエリートの胆力をお持ちの政治家だった。
小泉内閣では、国会議員の73歳定年制を潔く受け入れ引退された。
出処進退を心得た政治家であった。


若輩者の私の女房役を務めていただいたKさん。
Kさんは、北海道の炭鉱出身の手の大きな方だった。
娘さんから父の日にプレゼントされたネクタイを、よく締めていた。
好きなカラオケは千昌夫の「夕焼け雲」