「風の盆恋歌」

「風の恋盆歌」をぱらぱら捲っていると、こんな文章が目に留まった。


 えり子は振り仰ぐように、幾分、体ごと廻して都築を見た。
「でも、知った上のことでも、亡びはあわれだわ。違う?」
流し目に近い格好になった眼が、
つきつめたものを底に秘めて都築に向けられていた。


添うたからには 死ぬときも二人
 そんなことさえ オワラ ままならぬ


高橋治の絶妙な文章表現が光る。
萎んだ酔芙蓉を慈しむえり子。
自らの行く末を、散った酔芙蓉に重ね合わせるえり子。
えり子の心の窓が、恋人の都築を見つめる。
「知った上のことでも、亡びはあわれ」
と言いながら、つきつめたものを底に秘めた眼が、
流し目となり都築に向けられる。
その後に、おわら風の盆の、夜流しの歌が流れる。
その詞は、死ぬことさえ許さされぬ男と女の悲恋。
男と女が、運命の音色に導かれる様は、
神がかりゆえに罪深く、
赤々と燃ゆるからこそ、純白無垢な恋でもある。


弁証法のような、高橋治の筆致は、
透明なるエロティシズムがある。
透明な水底に光るガラスのかけら。
突き刺せば、鮮血が迸る。
二人の男女の胸に、抜き差しならぬガラスが突き刺さる。


風の盆恋歌」の男女の悲劇は、
近松門左衛門の世話物ののような、男女の心中が、
江戸時代の、強固な階級社会に背く恋ゆえに成立した必然とは違う質のものだ。
恋を恋として完結しようとする男女の収斂するまこと、それが心中となる。