男の色気


なかにし礼が、細木数子の「幸せって何だっけ」に出演していた。
私にとって、なかにし礼は、どこか気になる人物だった。
中学生の頃、歯医者の待合室で、
何気なく週刊誌を読んでいると、
なかにし礼の生い立ちの記事が掲載されていた。
数々のアルバイトを経ながら、
シャンソンの訳詞を経験して、作詞家になった、
そんなことが書かれていたように思う。
他愛もない記事だが、何故か記憶に残っている。


カラオケを4〜5曲歌うと、
無意識に、なかにし礼の曲を歌っている私がいる。
いつの間にか、なかにし礼のワンダーランドに迷い込んでしまうのだ。


なかにし礼には、胡散臭い一歩手前の人間の真実とでもいえる、
ある種の力強さと、デカダンの匂いを漂わせながら、
一方で、ひたむきに生きる人間の誠実さを感じる。
彼の作詞、「時には娼婦のように」は、
爛れた世界を描きながら、
冷静に女性を見つめる、彼の視線を感じる作品だ。


番組の中で、司会の徳光和夫が、
「孫も良いものですよ」
と言うと、
「孫に爺さんなんて呼ばれたくない」
と話すなかにし礼に、いつまでも男の色気を失わない、
ダンディズムを感じた。


銀座のクラブで遊び、浮気をしながらも、愛妻家らしい・・・・・
女性を好きになることは、色褪せなることのない彼の作品の、
媚薬なのかもしれない。


彼の小説「赤い月」の母親の女の業が、
なかにし礼に憑依しているかのようだ。
天使と悪魔が共存する人間の業。


橋本多佳子の激しい女の恋ふる心を詠んだ俳句は、
なかにし礼の母のようだ。


『雪はげし抱かれて息のつまりしこと』


言葉を言霊(ことだま)として感じる彼は、
ご神託の如く、インスピレーションが走り、作詞する。
「天から作品が降りてくる」
そう、なかにし礼は語る。
ふと、そんな彼の言葉から、野澤節子の俳句が、甦った。


『天地(あめつち)の息合ひて激し雪降らす』


天となかにし礼の息が合い、雪の華(作品)が天から降りてくる。
そんなことを勝手に私は想像してしまった。


なかにし礼には、いつまでも艶のある男でいてほしい。