経済つれづれ


政治経済の総合病院であった自民党が、
小泉首相時代は、個人専門病院のようになっていた。
兎も角、経済の建て直しが至上命令だった。
バブル崩壊後、銀行の不良債権処理のため、
苛烈な政策を取った。
銀行は、不良債権処理を達成し、
日本経済のファンダメンタルは強化された。
ただ、副作用として、格差社会が生まれたのも確かだ。
今回の安倍改造内閣は、そうした反省も踏まえて、
総合病院型の大臣の布陣になりつつある。


バブル崩壊後に、従来のケインズ型の手法で、経済運営をしていれば、
格差社会は生まれず、不良債権処理も進んだろうか?
所謂、公共事業依存の経済を継続することが。
経済の心臓部の金融機関が、
極度のメタボリックシンドロームに陥っていた90年代後半、
小泉経済改革が断行された。
メタボの元凶、銀行の不良債権の処理が急務だったのだ。
一方、ケインズは死んで、新古典派経済の、
中流市場至上主義が金科玉条になってしまった。
地方や中小企業は、格差社会の中で深刻な状況にある。


与謝野官房長官が、テレビで嘗ての自民党は、
勝者と敗者をはっきり分けるような社会ではなかった、
そんな趣旨の発言をされていた。
官僚についても、優秀な政策立案者として、重きを置いた発言をしている。
人は、批判され、貶されるより、
褒められ、敬意を払われる方がよく働くのかもしれない。
田中角栄は、そこらへんのツボをよく押さえた政治家だった。
「君達官僚はどんどん政策を立案してくれ、責任は私が取る」
そんな姿勢で官僚を使った。
官僚の人心掌握術に長けた田中らしい。


さて、取りとめもないことを書いたが、
ふと、アメリカの経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイスを思い出した。
高校時代、父親が読んでいた、ガルブレイスの「不確実性の時代」を読んだ。
難しかった。
面白かった。
ガルブレイスに、父親の愛情のような大らかなバランス感覚を覚えた。
ガルブレイスを読みたくなった。