徳川時代への回帰


今日は、赤穂浪士の討ち入りの日。
忠臣蔵の日
赤穂藩は、領主の刃傷沙汰で、お家断絶となり、
沢山の藩士が浪人となった。
現代で云えば、中堅の赤穂株式会社が倒産して、
沢山の失業者が出たというところだ。
国家老の大石内蔵助は、御家再興を図ったが、
幕府は、それを認めなかった。
大石専務の努力にも拘らず、
赤穂株式会社の再建は、叶わなかった。


徳川幕藩体制は、江戸幕府が政治の中枢であったが、
実際は、全国を各藩が収めていた。
尾張藩、伊達藩、赤穂藩、など其々の藩があり、
領主を頂点に、所領を統治していた。
藩は独立した国でもあった。
当然、其々藩の財政事情により、その領民の生活も左右された。
かなりの格差社会であったろう。
江戸や大阪と、大飢饉の東北の諸藩では、かなりの経済の格差があったろう。
天明の飢饉では、津軽藩などでは、十数万の餓死者に達したとも云われている。
好況不況以前の、生存に係わる事態であった。
 

格差社会
同じ日本でありながら、地域によってかなり景気が違う現在の日本。
東京や愛知などは、確かに好景気だろう。
しかし、東京の隣の山梨では、好況感はほとんどない。
実際、今週、山梨県に仕事で出かけたが、
現地の人の話では、依然として、
倒産は多く、取り分け建設業が多いそうだ。
「公共事業で飯を食っている会社が多いですよ」
そんな言葉が印象に残った。
江戸時代と平成の現代と、一緒にすることはできない。
しかし、相互扶助の精神が薄れ、
欧米型の弱肉強食の競争社会、
極端な市場至上主義になれば、
格差社会は、ますます深刻化するだろう。
経済が、江戸時代に回帰してはならない。