慶喜(けいき)さん


篤姫」の中では、どちらかというと悪役?の慶喜
江戸庶民にとって、最後の将軍、徳川慶喜はどう映っていたのだろう。
私は、明治生まれの祖母の話から、
比較的好意的に見られていたように思うのだが・・・


祖母の大叔母という人は、東京の湯島に住居を構えていた。
湯島の白梅で有名な湯島天神あたり。
この大叔母は、娘時代の祖母の育ての親であった方。


祖母の大叔母の生まれは、1856年ぐらいだと思う。
ちなみに、ペリーの黒船来航が1853年、
桜田門外の変が1860年で、明治元年が1868年。
大叔母は、昭和30年(1955年)99歳で亡くなっている。
丁度、幕末の時代が、少女時代であり、
江戸時代を体験していることになる。
物心付いた時はまだ、
男はちょん髷を結っていたのだ。


祖母は徳川慶喜を「慶喜(けいき)さん」と呼んでいた。
たぶん祖母の大叔母も、
慶喜(けいき)さん」
と親しみを込めて最後の将軍を呼んでいたのだろう。
「けいきさん」の呼び名が祖母に口伝えされたのではないか・・・・
「けいきさん」この言葉に、
江戸の庶民の郷愁を感じる。