気骨の判決


地方の時代と言われる現在。
各県の知事の発言が注目されている。
大阪府知事・宮崎県知事しかり。
知事が、政治の補助線ではなく実線になろうとしている。
一つの政治の潮流になろうとしている。
ところが、戦前は各府県知事は、内務省が決めていた。
そう、知事は選挙で選ばれていなかったのだ。
知事は公選ではなく官選であった。
県知事(篠井英介)は、まさに官選の知事だった。
ゆえに後に県知事は警視総監になる。


この「気骨の判決」の背景には、
戦前の日本の強力な中央集権の存在がある。
翼賛選挙そのものが、その表れでもあった。


私は、時局に順応する生き方を否定はしない。
ただ、判事として吉田久(小林薫)は法の精神に忠実だったのだ。
「こんなちっぽけな国だから、皆が一致団結しなければ勝利はない」
国民学校の校長(國村隼)の発言にも説得力がある。
どちらが善で、どちらが悪とも言えない。
歴史の審判とは、時代が決めているからだ。
それは、時の政府・体制・そして何よりも世論が・・・・


小林薫國村隼、二人の俳優が、
がっぷりよつの演技をして迫力があった。
田辺誠一麻生祐未も脇を固め、
良い味を出していたと思う。