2009-12-04 自分の手でにぎる・・・・ エッセイ 吉本隆明の「定説 言語にとって美とはなにか」を読んでいる。 「頭脳的な理解ではなく 〈言語〉の像をしっかり自分の手でにぎることができるのが理想だった」 詩人である吉本は自らが言語を編み、芸術を作り出す側でもあった。 だから、言語をただ解釈する頭脳的な理解に止まることなく、 言語の像をしっかり自分の手でにぎりたかったのだろう。 表現者の彼だからこそ、この労作が世にでたのかもしれない。 そんな思いが、この本を読み進むうちに強くなっている。