自分の手でにぎる・・・・


吉本隆明の「定説 言語にとって美とはなにか」を読んでいる。


「頭脳的な理解ではなく
〈言語〉の像をしっかり自分の手でにぎることができるのが理想だった」


詩人である吉本は自らが言語を編み、芸術を作り出す側でもあった。
だから、言語をただ解釈する頭脳的な理解に止まることなく、
言語の像をしっかり自分の手でにぎりたかったのだろう。
表現者の彼だからこそ、この労作が世にでたのかもしれない。
そんな思いが、この本を読み進むうちに強くなっている。