初恋のきた道


走る少女
見つめる少女
待つ少女
聞く少女
そこに青年への思いが溢れている。


初恋のきた道」は偶然に見た映画だ。
そしてどうしようもなく泣けてしまった映画だった。


ヒロインのチャン・ツィイーは、
時をかける少女」の原田知世のように、
一瞬の少女の輝きを放っている。


この物語のラストの息子のナレーションが、
感動的だった。


「二人がついに再会を果たした日、母は父の好きな赤い服を着て、
 道で待っていた。以来父は母の側を離れなかった。
 これが父と母の物語だ。この道で出会い愛し合った・・・」


モノクロの場面からこの物語は始まる。
父の急死で帰省した都会のビジネスマン。
母は父の葬儀を昔の風習のように、
棺を担ぎながら野辺送りをするよう頑なに主張する。
そしてその棺を、母の手製の赤い織物で覆うように・・・・


そして息子が父と母のなれそめを回想すると、
映像がモノクロからカラーに変わる。
舞台は1950年代の中国の華北の田舎の村。
都会から赴任してきた青年教師(若き父)をひと目で好きになった、
みつ編みの美少女(若き母)
この美少女のチャン・ツィイーが初々しい。
以後、彼女はせっせと彼のために弁当を作ったり、
偶然を装い、帰り道で待っている・・・
ところが青年教師はある日、町に帰る事になる。
少女は青年を待ち続ける。


この少女の健気な一途ぶりが涙を誘う。
厳冬の中、眉毛を霜で白くしながら、
青年教師を待つ少女。
機を織っていると青年の声の幻聴が聴こえ、
一目散で学校に駆けてゆく少女。
頭で恋してるのではなく体ごと恋している、
そんな少女に私は感動してしいた。


中国華北地方の美しい四季折々の映像が素晴らしい。
秋の日差しに輝く、黄葉した木々の姿が映えていた。
美しい季節の景と、少女の恋心が二重奏のようになって、
こちらの胸に響いてくる。


都会と村をつなぐ道は、
若き日の母と父をつなぐ道だった。


待つことは信じること
信じることは待つこと


この「初恋のきた道」を見ているうちに、
「待つことは信じること」
そんな少々恥ずかしくなる言葉に、
まるごと包まれたような気持ちになっていた。