「確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。
涙は追いつけない。」
小林秀雄著 「モオツァルト」より引用
これが批評いえるのか?
これは一篇の詩ではないか・・・
そんな疑問が湧きながらも、
ある陶酔のような感覚が知性を満たす。
批評家小林秀雄はモオツァルトに憑依し、
自らを表現する。
例えば、
「確かに私(小林秀雄)のかなしさは疾走する
涙は追いつけない。」
そんな文章でも違和感はない。
モオツァルトに共振する小林秀雄の琴線。
それが楽譜でなく、
言葉の音符である文章となるのだ。
小林秀雄の振るタクトに魅了されてしまう私がいる。