山下清展


川崎の塾に通っていた頃
たまに無性に塾に行きたくなくなり、
時間つぶしに、てくてく多摩川沿いの六郷土手を歩いていた。
六郷橋に夕陽が沈むころまで、
あてもなく歩いたり、ぼんやり川面を眺めたりしていた。
東京湾側の大師橋を望むと羽田空港東京国際空港)があり、
飛行機が離発着していた。
今でもあの頃の、
淋しくも麗しい風景が浮かぶことがある。


山下清の作品を鑑賞しているうちに、
何だかあの頃の淋しくも麗しい気持ちになっていた。
山下清の「長岡の花火」という作品がある。
漆黒の闇に花火が上がり、
花火が天空に広がる一瞬の光景を活写した貼り絵。
特筆すべきは花火の観客の精緻な描き方だ。
私みたいにセンチメンタルな感情に流されては、
とてもあんなに精巧な作品は無理だろう。
山下清は、
『見逃さないんだな・・・』
と思った。
一眼レフのカメラのような彼の記憶力に驚かされる。


そして面白かったのは、
彼の物事の本質を捉える独特の感性だ。
常識人だと思っている人間を
さて?
こちらが非常識なのかもと考えさせる。
山下清がヨーロッパを巡り歩いた時、
水の都、ストックホルムの石の裸像を見た感想。


「石の像は裸で パンツもはいていない 人間は裸になることはできないくせに 石や銅の像になると男でも女でもパンツをはかない それをみんなで感心して観ているのはどういう訳だろう」


パンツをはいてない石の像を、
感心して鑑賞する人々に疑問を投げかける山下画伯。
「裸の大将」山下清は心を裸にしているから、
垢の付いていない感性で事物を見ている。
それゆえ常識が非常識になり、
非常識が常識になる。
逆立した世界がそこにある。


  ☆ 山下清

  場所   千葉県立美術館 
  会期   平成23年5月28日(土)〜7月10日(日)
  開館時間 9時〜16時30分
  定休日  月曜日