松井冬子展 ヘビ少女の幻想


子供の頃ピアノ教室に通っていた。
ピアノ教室には少女漫画が置いてあった。
大きな瞳に星が輝く少女の漫画もあれば、
「ヘビ少女」といったおどろおどろしい漫画本もあった。
女の子達はこんな本を平気で読んでいるのだと思うと、
少し背筋が寒くなった。
子供心に少年漫画との乖離に驚いていた。


横浜美術館で,
松井冬子展ー世界中の子と友達になれるーを鑑賞した。
松井冬子は新進気鋭の女流日本画家。
余計なことかもしれないが彼女は美人だ。
着物姿は妖艶な銀座のママのようだ・・・


彼女の絵を見ながら、
漠然と夏子ではなく冬子という名前が似合うなと思った。
そして歌手の柴田淳の世界が浮かんでいた。
「痛み」を昇華させる女性の情念。
あるいは「理性ある狂気」
見えるものは伝達可能であるが、
痛みは孤独だと彼女は語る。


彼女の世界はどこまでも、
男性である私を拒否しているようにも感じた。
表現が適切でないかもしれないが、
閉じられた女性性器のような・・・
女性と言うジェンダーを全開にして表現すればするほど、
固く閉じられているような気がした。


松井冬子は、女性・雌であることをモチーフに、
幽霊・内臓・脳・筋肉などを描いている。
美とグロテスクの狭間。
彼女の作品は、
男が見てはいけない女性の世界なのかもしれない・・・


「浄相の持続」などは、
聖なる女性(冬子自身)が朽ちてゆく手前、
内臓を露わにしつつ、微笑んでいる構図となっている。
そしてむき出しの裂けた腹には胎児が宿っている。
そんな彼女の周りには白百合が咲いている。
胎児を宿すには男性との生殖が必要となる。
これは神の摂理


この松井冬子の作品と重なるのが「九相詩絵巻」(小野小町九相図)
美女が亡くなり、
朽ちてゆく様を九つの絵で描いている。
特に美女が朽ちて鳥獣に食い荒らされる絵は、
目を背けたくなるリアリズムがある。
九相詩絵巻」はどんな美女も死ねば無常に朽ちてゆくことで、
修行僧を女人の煩悩から解き放つ意図で描かれたとか・・・


この「浄相の持続」が発表されたのは2004年(平成16年)
その後に彼女は結婚している。
彼女の自分自身を破壊しようとする強烈なナルシズムと、
アウフヘーベンする契機となるのだろうか・・・


帰りがけの美しい少年少女合唱団の「アヴェ・マリア
を聴きながら、ヘビ少女の幻想が頭を過ぎっていた。