三つ巴の作品


武田鉄矢ショータイム」を見る。
宇崎竜童と山口百恵とのエピソードを興味深かった。
16歳のアイドル山口百恵が指名した作曲家は、
ツッパリ路線で一世を風靡した、
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童だった。
宇崎竜童を指名した百恵は、
自らの意志で自身のミュージックシーンを変えた。


三角関係はある種、強烈なエネルギーを生む。
それは恋愛に置いて顕著にあらわれる。
三人が意識しあいながら止揚する、
そんな弁証法的三角関係にあったのが、
山口百恵・宇崎竜童・阿木燿子だったのではないか。
百恵・阿木・竜童の三つ巴のエネルギーが様々名曲を生み出した。


秋桜いい日旅立ちは他の歌手でも歌えますが、
 横須賀ストーリーやプレイバックは、
 山口百恵が引退して死んだのではないか」


武田鉄矢の批評は鋭い。
武田鉄矢の言葉はある核心をついている。
百恵・竜童・阿木三者の世界は、
三人の中でのみ完結されたから味があるのだ。
つまり三つ巴の三角関係のなかで呻吟しつつ生まれた作品に、
他者は踏み込めない。
百恵が引退すると同時に、
三人の作品も死んでしまう。
換言すれば心中してしまったのだ。


「百恵さんが引退されて、
 これで彼女の作曲から解放されたと思ったが、
 どこか淋しさがあった」
そんなことを宇崎竜童が語っていた。


最後に宇崎竜童が歌った「横浜ホンキー・トン・ブルース」
がオシャレだった。
松田優作原田芳雄が好んで歌ったこのブルース。
作詞は俳優の藤竜也
ダンディーでワルの匂いのする男が歌うんだな・・・