鬼平の惻隠の情

池波正太郎のリズム」写真集 熊切圭介、展望社出版に、目を通すうち、
池波正太郎のこんな言葉が、胸に滲みた。

       ちかごろの日本は、何事にも、
       「白」
       でなければ、
       「黒」
       である。
       その中間の色合が、
       まったく消えてしまった。
       その色合いこそ、
       「融通」
       というものである。

鬼平犯科帳長谷川平蔵には、相手の気持ちを察する優しさ、
細やかさがある。
「白」でなければ、「黒」である。
池波正太郎が、指摘するように、
私たちは、何事も白黒で判断することで、
相手の気持ちを察するという、人情の機微に鈍感になり、
2進法のコンピューターのようになってはいまいか。
鬼平犯科帳の中では、悪人であっても良い振る舞いをする人物がいる。
水戸黄門のように、どこまもでも悪人は悪人として描かれているわけではない。
勧善懲悪ではないのだ。
そこには、平蔵を通して、池波正太郎の、
善と悪の中間の色合、融通の世界がある。
大岡裁きも、情の裁きもあるが、どこまでも、お上からの、
上から裁きである。
官僚的な視点が強い。
平蔵は、おまさを始め、脛に傷のある元罪人をつなぎとして使う。
平蔵の寛容さ、優しさがある。人の痛みを心得ている。
何よりも私が鬼平が好きなのは、弱い者、一度罪を犯した者への、
惻隠の情があるからだ。



*惻隠の情(そくいんのじょう)
 人の不幸を哀れみ、痛ましく思う心、察する心。



*それにしても、中村吉右衛門長谷川平蔵は、はまり役だ。
 初代、鬼平松本白鸚は実父ということもあり、
 親子二代の、長谷川平蔵ということになる。


中村吉右衛門の兄は、九代目松本幸四郎
 市川染五郎松たか子の叔父にあたる。




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