青春の彷徨

先日、唐沢寿明の「ふたり」を読んでいたとき、
唐沢も十六歳から十九歳までの間、新宿によく通っていたと語っていた。
彼にとって、新宿は一番好きな街であり、
その当時は、カッコよく踊ることだけ考えてたと邂逅している。
唐沢寿明が、フーテンという昔の言葉を使っていたことが、
気取らない、時代遅れの男の印象を与えた。
端整な顔立ちとは対照的な硬派な男だからこそ、
利家とまつ」で、武骨で名を馳せた前田利家を好演できたのだろう。


私も予備校に行きながら、東京の街をぶらぶら歩いた。
高校一年の頃、駿台予備校の夏季講習をさぼり、恵比寿から広尾に向かって、
渋谷橋の歩道橋を渡っていると、反対側の広尾一丁目方面から、
レモン色のワンピースの女性と2、3人の取り巻きの男が歩いてきた。
レモン色の女性は、当時人気絶頂の山口百恵であった。
彼女は、まだ少女の面影を残し、ややうつむきかげんで歩いていた。
瞬間、私は百恵ちゃんのファンでありながら、
芸能界なんて、やめればいいのに、などと思った。


自分の中で、妙な腹立たしさがこみ上げきたのを、覚えている。
渋谷の思い出は、渋谷の繁華街から少し奥に入った、
宇田川町の「スウィング」というジャズ喫茶だ。
ドキドキしながら、「ソフトリィー・サンライズ・イン・モーニング」
を初めてリクエストしたことが懐かしい。
自分のリクエストが、聴こえてきたときなどは、なんとなく嬉しくなった。
さらに、宇田川町から円山町、神泉を歩くと、ホテル街あり、
昔の遊郭街の跡ありで、独特の街の雰囲気を醸し出していた。
そして私は、早稲田などで、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を
神社のベンチで読んだりしていた。
蝉時雨が耳に響き、白日夢のような時が流れた。


ATG(アート・シアターギルド)の映画もよく観た。
萩原健一主演の「青春の蹉跌」、
森本レオが、学生運動の元闘士の先輩。
桃井かおりがセーラー服の女子高生を演じていた。
竹下景子の「祭りの準備」の、ラブシーンが話題を呼んでいた。


お茶の水の学生街には、「成田空港粉砕」の立て看板があった。
丁度、中央大学御茶ノ水から、多摩に移転した時期だ。
テレビで、「いちご白書」を見て感動した。
荒井由実松任谷由実)の歌より、映画は後で観る事になった。
しかし、時代は70年安保の政治の季節ではなかった。
当時の私は、何を求めて、あてどなく東京を歩いていたのだろう。
そして、本を読み、映画を観て、音楽を聴いていたのか。
ただ、ラジカルでいたいと思っていた。
唐沢寿明も私も、「青春の彷徨」をしていたのだろう。



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