娘道成寺

中村勘九郎(現・勘三郎)の「勘九郎ぶらり旅」を読んでいる。
勘九郎はすでに、十八代中村勘三郎を襲名しているが、
この本は、勘九郎時代に書かれたものだ。
勘九郎が、歌舞伎に由来のある、町をぶらり旅をして、
語りおろした構成になっている。
本書をぺらぺら捲っていると、
道成寺物語に目が留まった。
道成寺にといえば、祖母を思い出す。
明治生まれの祖母は、芝居好きであったことから、
よく歌舞伎のはなしを、してくれた。
忠臣蔵武蔵坊弁慶、曽我の十郎三郎などである。
その祖母のはなしのなかで、特に印象に残っているのが、
京鹿子娘道成寺」であった。
金冠の烏帽子姿の花子が、娘の恋の手踊りを舞う。
花子はやがて鐘のなかに姿を消す。
そう、花子は、実は清姫の化身だったのだ。
恋しい安珍を隠した、鐘楼に巻きつき、焼き尽くす。
蛇体となりし、清姫の怨念。
安珍清姫の壮絶にして切ない物語。
そんなはなしを聞かされた小学生の私は、そのおどろおどろしさと、
ある種の狂気の美しさを、子供心に感じた。


      花のほかには松ばかり

      花のほかには松ばかり

      暮れそめて鐘や響くらん


七五調の謡と金冠の舞いのコラボレーション。
狂えば狂うほど、情念の炎が燃え上がる。
速水御舟の絵の世界、火蛾の舞いに神隠し状態になる私の琴線ゆえに、
自然に祖母の娘道成寺の語りに、夢中になるのだった。
勘三郎もさることながら、玉三郎の「京鹿子娘道成寺」を観覧してみたい。
祖母の語りの神通力は、私の嗜好にも滲みついるような気がする。
私は未だ、清姫の幻影に縛られているのだろうか。



勘三郎は、「道成寺」を踊る前に、必ず観世音菩薩にお参りするそうだ。


*この本で、藤間宗家が、もともと日本橋浜町にあったこと、
 幼い頃、勘三郎がその浜町の藤間宗家に、お稽古に通っていたことを、
 初めて知った。


山口百恵の「曼珠沙華」(阿木耀子作詞)の一節を想起した。

       曼珠沙華

       恋する女は

       曼珠沙華

       罪つくり

       白い花さえ

       真っ赤に染める


曼珠沙華は、清姫の化身の如く、真っ赤に染まる。



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