吉本隆明詩集

私にとって、吉本隆明との出会いは、文芸評論家としてであった。
「言語にとって美とはなにか」 「共同幻想論」などを、
謂わば、マラソン走者の如く、読書をしていた。
苦しくもあり、ゴールがなかなか見えない読書であった。
そんな、知的巨匠の吉本隆明が、詩人であることを後から知り、
吉本隆明詩集」を読んだのだ。
この詩集の中で、印象に残った詩が、「ちいさな群への挨拶」であった。
一部を、抜粋をしてみる。



  ぼくの孤独はほとんど極限にたえられる
  ぼくの肉体はほとんど苛酷にたえられる
  ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
  もたれあうことをきらつた反抗がたおれる
  ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
  湿った忍従の穴へ埋めるにきまつている
  ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす


  だから  ちいさなやさしい群よ
  みんなひとつひとつの貌よ
  さようなら



吉本の仕事は、どこか孤独なマラソンランナーのような気がする。


  『ぼくの孤独はほとんど極限にたえられる』


自分との闘いとの、達成感と少しばかりの陶酔感。
若き吉本隆明の自画像が、この詩に表現されている。


  『ちいさなやさしい群よ』


と呼びかける、
詩人の過剰なる精神と、大衆への優しい眼差し。
この詩句から、彼の反逆者としての、熱血漢が迸る。
衒学(げんがく)を弄ぶ、知識人ではない、
知の汗を額に滴らせた若き詩人がいる。
どこか、若き日のマルクスに似ている。
小林秀雄の「ランボー」の批評を書いた頃の、
躍動感のある文体と、同じ息吹がある。
吉本の詩には、マラソンランナーの「ハア、ハア、」と
呼吸音が聞こえて来るような、精神の臨場感がある。
この詩集を読んでいた、当時の私も、過剰なる意識の時代、
つまり青春時代であった。
吉本隆明の孤高に共感している、
鼻持ちなら無い、未熟なる頭でっかちであった。

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