鹿内春雄、男の笑顔

「もしも」という言葉がある。
「もしも鹿内春雄氏が生きていたら・・・・」
昭和63年4月、鹿内春雄フジサンケイグループ議長が突然亡くなられた。
ここに、一冊のアルバムがある。
鹿内春雄記念アルバム」
私は、鹿内春雄記念アルバムを見るたびに、
もし、鹿内春雄氏が生きておられたら、精力的な活動と、
稀有な発想で、今のマスコミ全体が、変わっていたかもしれない。
そんな想いを強くする。
鹿内春雄氏の魅力は、その笑顔だ。
その笑顔は、人を惹き受けて止まない。
若き経営者でもあった、鹿内議長がもしご存命なら、
堀江貴文ホリエモン)のライブドア事件を、どう評価されたろうか。
私は、鹿内春雄の生き様に共感を感じる。
ヒルズ族は、経営者鹿内春雄を再認識すべきではないか。


1982年こんな言葉が流行った。
「フジテレビが三冠王ー大勢見なけりゃテレビじゃない!?」
北の国から」「なるほど!ザ・ワールド」「オレたちひょうきん族
といったテレビ番組が次々生み出され、
「楽しくなければテレビじゃない」という、
有名なキャッチフレーズが躍り出た。
イベントでは、「国際スポーツフェア」「スターライト・エクスプレス」
そして「夢工場87」の成功がある。
まさに、若き織田信長のごとく、破竹の勢いであった。
鹿内春雄氏のご尊父、鹿内信隆氏の言葉、
「春雄は櫻散るなか男の花道を六方を踏んで昇天していった」
男、鹿内春雄の生き様を示していると思う。
春雄氏が、生きていらっしゃれば、60歳還暦の歳だ。
円熟味が増した春雄氏は、
どんな仕事に取り組まれているだろうか。


私は、仕事で迷うとき、
この「鹿内春雄アルバム」を開く。
鹿内春雄の笑顔は、どこまでも暖かい。