男の小遣い

池波正太郎の「男の作法」を、海外駐在の折、何度も読み返した。
その中で、「小遣い」という章があった。
私は、独身の頃あまりお金を使う方ではなかった。
というより、お金の使い方がよく分かっていなかった。
そんな私に、池波正太郎の「男の作法」、
取り分け小遣いの内容は、参考になった。
「若いときの金の使いかたは、残そうとおもったらだめですよ。」
池波は、小遣いがなくなり、世の中が、
味気なくなってしまったと書いていた。
「小遣いがなくなると同時に、世の中全体から余裕というもの
失われてしまった。」
若い頃、酒を酌み交わすこと、粋な店で食事をすること、
映画を観ること、そして本を読むこと、色々な無駄に思えることも、
長い人生からすれば、その無駄が、血となり肉となっていることもある。
所帯をもったらできないこともある。
若い頃の1万の価値は、40代、50代の2倍の価値がある。
若いということは、体験したことに対する、吸収力も違う。


お金を使うことが、他の人にも喜びを分かち与えることもある。
くだらないことかもしれないが、初めて社会人になり、
先輩社員に、キャバレーに連れってもらたときの、思い出は忘れられない。
連れて行く先輩も、後輩社員である私を連れて行くことが嬉しそうだった。
そんな体験が、社会勉強になったこともある。
「男の小遣いというものがあれば、
それなりに世の中を潤すものなんですよ。」
この文書を読んだとき、鬼平犯科帳鬼平こと長谷川平蔵が、
よく部下の同心を、軍鶏鍋に連れて行った、そんなことが頭に浮かんだ。