察するということ

先日、あるクラブで飲んでいたときの事。
そのクラブで、接待の話しになった。
話の流れで、
私の接待の態度のことに、話が及んだ。
私の接待は、接待になっておらず、
逆にお客さんに気を遣っていただいているとの、
チーママとホステスさんの意見だった。
当人の私は、気を遣っているつもりなんだがな・・・
接待のプロのホステスさん二人に指摘されたので、
多分そうなのだろう。
率直に指摘してもらえることは、私がまだ改善の見込み有り
と思われているのかもしれない。


少し落ち込んだ私に、チーママの一言が心に響いた。
「そうした、お客さんと忌憚のない間柄になるまでが大変なのよね。」
「忌憚(きたん)のない」と言う言葉ではないが、
そうしたニュアンスの言葉だったと思う。
さりげない一言だが、相手の立場を察する優しい眼差しを感じた。
ふだん、きつい言葉を発しながらも、的確な状況判断をする女性だが、
相手を立てることは忘れない心使いがある。
お客さんと胸襟を開いた関係になるまでの道のりを
彼女が想像し、察してくれている気持ちが伝わった。
出来るようで、出来ないことだ。
少々お酒に酔っていたので、正確な記憶ではないが、
オミズ大学一年生には、勉強になった一夜でした。


*忌憚(きたん)は、言うことを避けて、遠慮することの意味。
「忌憚のない」は、言うことを避けるような、遠慮をしないこと、
 相手に率直に言うことの意味。