「黒い花びら」水原弘

村松友視著「黒い花びら」を読んだ。
「黒い花びら」は、水原弘が歌った、
第一回日本レコード大賞受賞曲だ。
永六輔作詞、中村八大作曲。


   黒い花びら 静かに散った
   あの人は帰らぬ 遠い夢
   俺は知ってる 恋の悲しさ
           恋の苦しさ


イントロに鳴り響く、咽び泣くような、
松本英彦の哀愁のサックス。
ブルースのようなバラード。
低音の水原弘の声が、胸に沁みる。
モルトウイスキーをロックで流し込んだように、
熱いものが広がる。


私にとって、水原弘は遠い存在ながら記憶に残る歌手だ。
カラオケでも、「君こそわが命」を歌うことがある。
ただ、私は「スター誕生」の世代であり、
山口百恵桜田淳子森昌子の三人娘の時代だった。
所謂、アイドル全盛時代。
その頃、水原弘は30代後半。
親の世代の歌手の印象があった。
テレビマンガ、白土三平原作の「カムイ」のテーマを歌っていたことで、
多少親近感はあったが・・・・


歌謡番組の「ロッテ歌のアルバム」で、
司会の玉置宏が、「おミズ」とよく愛称で呼んでいた。
石原裕次郎が、陽のあたる道を歩んだとすれば、
彼は、芸能界の裏街道を歩いたのではないだろうか。
昭和9年生まれの石原裕次郎、10年生まれの水原弘
同世代のふたり。勝新太郎を兄弟と呼んでいたふたり。
石原裕次郎は、53歳、水原弘は、42歳で天命を迎えた。


村松友視の「黒い花びら」の一文が、
よく水原弘の姿を表現しているので、引用してみる。


『ステージを降りてからの「無頼」のせいで、水原弘の借金は
天文学的数字となり、体は病魔におかされていた。
だが、この「悲劇」の道筋を、「無頼」がここまで追いつめられた
時代にながめ直すと、見事な逆転へと導かれてゆくような気さえする。
彼の人生が、うっとりとするような無頼との道行でもあったようにも
思えてくるのだ。
何はともあれ、「ジーィんとくる熱いやつを、いつまでも歌いますよ」
という約束を、水原弘は守って逝ったのである。』


山口洋子著「ザ・ラストワルツ」に銀座の夜の蝶、
ホステス達が描かれている。
村松友視の「黒い花びら」と同じ匂いがある文章だ。
光あるところには影がある。
光から見た影の存在ではなく、
影から見た光とは何かを、
二人の本を読み進むうちに考えるようになった。
芸能界、夜の銀座のクラブ、
いずれも華やかな世界だ。
華やかな光り輝く世界だからこそ、
闇も深い。
エアーポケットもあり、ブラックホールもある。
「うっとりするような無頼との道行き」
の先にあるものは何か・・・・
破滅の予感を感じつつも、歌に命を賭け、
酒と賭博に溺れた彼の人生。
私は、誘蛾灯に惹かれる蝶のように、
妖しい魔性に魅入られた魂を感じる。
美しい火蛾となり燃え尽きる、
そんな水原弘がいる。