言語にとって美とはなにか

学生時代、「言語にとって美とはなにか」「心的現象論」
共同幻想論」を読んでいた。
かなり難解にして、頭の体力が必要だったような気がする。
この三部作は、トライアングルのように、それぞれの著作が、
互いの引力で結びついているように感じた。
なかでも、「言語にとって美とはなにか」は、
興味ある内容が散りばめられていた。
「言語にとって美とはなにか」の、吉本隆明
こんな文章が誠実な学問的態度に思えた。


「このもんだいで、わたしたちに必要なのは、文壇的な推理ではなくて、
本質的な態度である。類例のない推理ではなくて、類例のない態度である。
立場ではなくて止揚にいたる根拠と、その骨組みである。」


成熟度のある思想のなかにも、新鮮さを吉本隆明の著作は、
失っていない。
生真面目なまでに論考する態度は,
宮本武蔵のような武道家の匂いがする。
「本質的な態度」を確かに一貫として、彼は守ってきた。
そして、ある意味で思想家の職人気質を大切にしていた。
ヘーゲルマルクスを語りながら、東京の下町の職人のようでもあった。
私の中で、そんな吉本隆明が、
頼れるオジキのような存在だなと思うことがある。