風の盆恋歌


高橋治著、「風の盆恋歌」を読んでいる。
現在進行形で、読んだ生の感想を書いていこうと思う。
読書のライブだ。
読みながら、感じ、感じながら、考え、考えながら書いていく。
読書感想といった、読後の本の感想ではなく、ライブ感覚の読書感想だ。
今日は、30頁読み進んだ。
その、感想を書いてみることにする。
ライブ読書の始まりだ。


風の盆恋歌」は、不倫という名の愛を知った男と女の物語。
胡弓流るる越中おわら風の盆、愛と死の狭間で揺れ動く熟年の男女。
この小説をモチーフにした、なかにし礼作詞の、「風の盆恋歌」を、
石川さゆりが歌う。


 小説「風の盆恋歌」には、所どころに和歌や俳句が散りばめられている。
この小説を建築物とすれば、和歌や俳句は窓のような気がする。
和歌や俳句の、光や風といった自然の息吹を通して、
二人の男女の心の窓を開く。


「風の章」のこの一文、愛する女性を察する男の気持ちが、
丁寧に綴られている。そして、女性の和歌が彼女の心の窓となっている。


  いくとせを この家に生きむ あてもなく
    辛夷買い植ゑ 春待つ日々


 なん年か前に送られた来た封筒の中の便箋に、
それだけ書かれていた和歌が思いだされた。
ああ、お前もかという気持ちで読んだのをはっきり覚えている。
和歌は辛さを訴えているのではない。救いに来てくれといっているわけでもない。
ただ、自分が生きている季節が春ではない、
居場所が違ってしまったように思える、
そういっているだけなのだ。だが、それが痛いほど胸にしみる。


風の盆恋歌」 風の章より引用


二人の愛はやわらかく、それでいて深いところで共鳴している。
落ち着いた大人の男女の恋。
「ただ、自分が生きている季節が春ではい、
居場所が違ってしまったように思える」
女性は、若く美しい季節の女でなくなった自分自身を歌ったのか。
先の見えぬ恋に心が揺れるのか。
大人の男女の魂のふれあいがある。
そして、ふたりには共通の予感がある。
それは、死の予感。