風の盆恋歌


今回は、この小説の重要な花、酔芙蓉の書かれているくだりを紹介する。


   「スイフヨウがお好きですか」
   「スイフヨウ?」
    思わず聞き返した。
   「あの花です」
   「・・・・ああ」
   答えはしたが、いかにも答える頃合がずれた。
   「酔う芙蓉と書きます」


主人公の都紫が、初めて酔芙蓉を知ることとなる場面。
さらに、酔芙蓉についての解説が述べられる。


   「朝は白いのですが、昼下がりから酔い始めたように色づいて、
   夕暮れにはすっかり赤くなります。
   それを昔の人は酒の酔いになぞらえたのでしょう」
   「それは、また、粋な」


さらにこの酔芙蓉が、主人公の都築とえり子との運命を暗示する。
それが、こんな会話に表現されている。


「で、酔った揚句がどうなりなります」
「散りますな」
「酔って散るのですか」
「一日きりの命の花です」
「そうですか」
酔って散ると聞いた途端から、都築の碁は全く碁にならなくなった。


酔って散ると聞いて、都築の心は動揺する。
それは、取りも直さず二人の運命を暗示するかのような、
そんな言葉に聞えたからだろう。
その夜、都築は酔芙蓉の夢を見る。


   その夜、なかなか寝つけなかった浅い眠りの中で、
   都築はなん度となく白い花の夢に悩まされた。
   夢の中の酔芙蓉は薄暮の中でも白いままだった。
   酔いもしなければ、散りもしなかった。


また、白き酔芙蓉が、紅に染まる描写を官能的に綴っている。


   色づいて来る様は、酒に酔うというよりも、
   女が自分の内側から突き上げて来るものに抗いきれず、
   崩れて行くありようを連想させた。


高橋治の文体は、五木寛之渡辺淳一の文体の匂いがする。
五木寛之は「風の棺」で、渡辺淳一は「愛の流刑地」で、
それぞれ風の盆を取り上げている。


陶酔するような、文体に、キラリと理性がはめ込まれている。
「崩れて行くありようを連想させた」
と高橋治は、表現する。
ありさま」でもなく、「姿」でもなく、
「ありよう」と表現する。
「女が自分の内側から突き上げて来るものに抗いきれず、崩れて行く」
との官能的な表現をしながら、
その後に、理性的な言葉使いの「ありよう」を選択する、彼独特の文章技術。


私はこの文章を読んで、流麗な白鷺の舞が甦った。
高橋治の文体は、舞踊にも通じる流線美と腰の強さがある。