彼岸桜


彼岸過ぎの最初の月曜、洋子は会社を風邪で休んだ。
洋子は3月21日から3日間の休暇を取り、土日と合わせて、
5連休を取っていた。
洋子にとって、この5連休はけして楽しい連休ではなかった。
それは、洋子の夫が亡くなって、初めての彼岸だったからだ。


お彼岸の準備に、洋子は気が張っていた。
お寺との折衝、親戚への連絡、料理の準備。
夫の亡くなった3ヵ月後に娘に初孫が生まれた。
酒飲みの夫だったが、初孫を楽しみにしていた。
夫が逝ったのは、突然だった。
脳溢血だった。
夫が倒れたのを、夫の会社から聞き、
洋子は、急いで病院へ駆けつけた。
大きないびきをかいている夫がベットにいた。
熊のような、大きないびき。
そう、洋子が幼少の頃、防空壕跡のトンネルから聞えてきた、
あの風穴の音に似ていた。
「ゴウー、ゴウー」という呻るような寝息。
夫は、あの暗い防空壕の風穴に飲み込まれてしまうのだろうか・・・・
そんな思いが、洋子の脳裡に浮かんだ。
それから3日後、夫は帰らぬ人となった。
あれから、もう半年なのだ、


お経も終わり、親戚に食事を振る舞い、子供達もそれぞれ家路に着き、
ひとりになった洋子は、ふとそんな感慨に襲われた。
結婚して、銀婚式までは無事に連れ添ってきたのに、
夫は先に逝ってしまった。
洋子は、気が抜け、疲れが出たのか、
風邪を引いてしまい、もう一日会社を休んだ。
ひとり布団から、天井を見上げていた。
トイレに行くのも、億劫な気分。
孫の面倒は見てあげるのだが、娘は母の面倒はなかなか見てくれない。
なにもしない夫だったが、やはりこうして病気になると、
側に居てくれるだけで心強かった。


洋子は気だるい気分で7日ぶりに会社に出勤した。
上司は、
「疲れがでましたか」
と声をかけてきた。
いつもより優しいなと思った。
でも、上司は上司、夫ではない。
洋子はトイレの鏡で自分の顔を見た。
いつもは、入念に化粧をする洋子だったが、
今日は、化粧をし忘れていた。
心が丸ごと真空になっていた。
急に先ほど、声を掛けられた上司を思い出し、
洋子は、無防備な自分を見られたようで、恥ずかしくなった。


はやばやと会社を退社した。
洋子はいつもの自宅近くの、公園の前を歩いていた。
公園の桜が満開だった。
空を見上げると、麗らかな青空が広がっていた。
優しく暖かなベールに包まれてるような、そんな気分だ。
洋子の胸に、ぽっと春が生まれたような気がした。
そうだ、季節は春なんだ。
そんな当たり前のことに感動している自分が、
少し滑稽で、それでいて愛しく感じた。
洋子の心の凝りが、柔らかくなる。


翌日、洋子は、ピンクの花柄の洋服と、同じ柄のバックで出勤した。
派手でも良い、人にどう思われても良い。
自分の気持ちに素直でいたかった。
口紅もシャドーも香水も、春らしく装った。
全身で、春を感じたかった。


その日洋子は、仏壇に桜を活けた。