雪の俳句

11月も末になり、東京を始め、いたるところで、
クリスマスの装いを見せている。
そういえば、原宿のクリスマスのイルミネーションは綺麗だった。
表参道は、別世界のように眩しかった。
吉田栄作仙道敦子のドラマ「クリスマス・イブ」の主題歌、
「サイレント・イブ」が好きだった。
ドラマの中で、二人が歩く坂道から、夜の東京タワーが輝いて見えていた。
六本木か飯倉あたりなのか・・・
それとも高輪あたりなのか。
そんなことを想像して視ていた。
仙道敦子扮するヒロインは、確か雪子と言う名前だったと思う。
なんとなく、仙道敦子の雰囲気に合っている名前だなと思った。
中島美嘉の「雪の華」も透明感があり、心が洗われる、好きな雪の歌だ。


さて、今日は私の心を捉えた雪の俳句を引用する。


降る雪や明治は遠くなりにけり

中村草田男


かぎりなく降る雪何をもたらすや

西東三鬼


雪はげし抱かれて息のつまりしこと

橋本多佳子


昔雪夜のランプのようなちいさな恋

三橋鷹女


雪はしづかにゆたかにはやし屍室

石田波郷


いずれの、17文字にもドラマがあり、俳句の奥の深さを感じさせる。
季語の「雪」を17文字の世界で活かすことで、
読み手に様々な想像の世界を広げさせてくれる。


東京に雪が降ると、水墨画の世界が広がり、
景色がセピア色になる。
取り分け、皇居周辺は時代がタイムスリップした錯覚に襲われる。
それにしても、俳句の技法、切れ字の「や」が、絶妙だ。
明治生まれの草田男は、明治を懐古したのだろうが、
昭和生まれの私は、「昭和は遠くなりにけり」と思うことがある。


三鬼の俳句の雪は、しんしんと降り続く雪。
静かに、果てしなく降り積もる雪。
降り積もる雪への、底知れぬ恐れが、「何をもたらすや」によく表現されている。


多佳子の「抱かれて息のつまりしこと」に、恍惚とした女の姿がある。
雪の激しく降るなか、愛しき男(ひと)に抱かれる女性。
映画のワンシーンのようだ。


鷹女の「ランプのようなちいさな恋」とは、なんとメルヘンチックではないか。
作者鷹女の少女の頃の、初恋の思い出か・・・・
みつはしちかこの「小さな恋のものがたり」をふと思い出した。
チッチとサリーの恋のお話だ。


波郷の「屍室」の死の現実と雪の透明感が、
「雪はしづかにゆたかにはやし」に表現されている。
作者は死と向き合い、澄んだ心で雪を見ている。
「しづかにゆたかにはやし」
とは、作者波郷の人生そのものの、実感なのかもしれない。
屍と雪、そして波郷その人が、共存する深閑とした世界がそこにある。