[俳句] 真砂女絶唱


 俳人鈴木真砂女の人生は、けして平坦ではなかった。

むしろ、波乱万丈の人生だった。



  羅(うすもの)や人悲します恋をして



人の妻でありながら、人の夫を愛した真砂女。

その現実を「人悲します恋」と俳句で表現する。

恋する相手の妻と、自らの夫への自責の念の中、

真砂女は強く生きてゆく。

小料理屋を開き、自立して生計をたてる道を歩む。



  あるときは船より高き卯浪(うなみ)かな



真砂女は語る。



「人生も浪の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちることもある。

 そして又浮かびあがる」



自らの業、救われない魂を持て余しながらも、

けして真砂女は逃げず、凛として、人生と向き合う女性であった。

真砂女は、生と死の狭間で揺れる、危うい岐路もあったのだろう。

こんな俳句も彼女にはある。



  死なうかと囁かれしは蛍の夜



恋人か、それとも自分の内なる心の声か、

そんな死への誘惑もあったのだろうが、

鈴木真砂女は96歳の大往生まで、女として生き抜く。

晩年の真砂女の俳句に、人生を達観した境地を、私は感じる。



  来てみれば花野の果ては海なりし