通貨のバンドラの箱


そもそも貨幣(お金)とは、
物と物を交換する代行として存在していた。
物々交換から貨幣経済に世界も、日本も変わってきた。
江戸時代までは、日本の給料は米で支給されていた。
加賀100万石とか伊達62万石とか、
それぞれの藩は米の石高で経済状況を示していた。


円高が進んでいる。
1ドルが75円台になった。
今は変動相場制が当たり前になったが、
1971年のニクソンショック(ドルと金との交換停止)までは、
1ドルは360円で固定された、固定相場制だった。
まさにドルは世界の基軸通貨だった。
ところが、変動相場制になり、
通貨が通貨を買うという奇妙な現象が生じてきた。
敢えて私は「奇妙な」現象と言いたい。
物と物との交換のために媒介していた通貨が、
物を介在せず、直接通貨が通貨を買うことになったのだ。
言葉は適切ではないかもしれないが、
どこかフリーセックスような・・・・


通貨の価値が上下動する利ざやを求めて、
円を売りドルを買ったり、
ドルを売り円を買ったりするようになった。
物に対する使用価値ではなく、
通貨に対する使用価値が指標となる劇的変化を世界は迎えている。
通貨が通貨を買う限り、
通貨は水膨れにになる。
それは、実際のドル紙幣、通貨とは別に、
大量のシュミレーションのドルが世界で決済されている。


  ドル紙幣・通貨≠ドルの量


更にドルや円を買うものは利ざやを求め、
手数料も支払う。
こうした経済行為は株の領域を犯している。


     物=通貨=物 (1対1対応)

     通貨+利ざや=期待通貨
     
通貨を購入するものは、
利益を期待し、
少なくとも現状の価値を維持したいにも拘らず、
通貨買いをして損をすることもある。
「期待通貨」は「シュミレーション通貨」
それゆえ、欲望と通貨が連動してしまう。
客観的な基準としての通貨が消去されてしまうのだ。
そのため実態の世界経済と3D(シュミレーション)の世界経済との間で、
乖離や軋みが生じる。


経済のグローバリゼーションは、
「世界同時・・・」となる危険を孕んでいる。


通貨が通貨を買うという行為に手を染めた私達は、
通貨のバンドラの箱を開いてしまったのかもしれない・・・