記憶の轍(わだち)


同窓会で旧友に異口同音に言われたのが、
「記憶力がいいね」
との言葉だった。
ひとりひとりの友に大切な思い出があり、
悪い思い出がないのだ。
悪い思い出は自然に消滅してるかのように・・・


昨日、黒澤明監督の「羅生門」を見た。
盗賊(三船敏郎)に武士(森雅之)の夫婦が襲われ、
妻(京マチ子)は盗賊に手篭めにされ、夫は殺される。
盗賊と妻は夫は何故殺されたのか取り調べられるが、
其々違った証言をする。
はたして真実は如何に・・・・
多分、盗賊も妻も自分なりの真実を語っているだろう。
記憶の真実はその人にとっての真実だからだ。
記憶は熟成されて思い出となる。


映画「羅生門」のように大学時代の友の記憶は、
私の記憶でしかないのかもしれない。
でも、それはそれでいいのだ。
小さな道を光が照らすように、
思い出が今までの道程を照らしてくれてるから・・・


女友達の思い出。
あの日お寺の境内に迷い込んだ子犬を、
「可愛いね」
と二人でしゃがみこんで頭を撫でていた。
「何やってんだ」
と苛立ちの声。
そう声の主は彼女の彼氏(私のサークルの先輩)
私達の前に仁王立ち。
そんな他愛もない思い出だが、
懐かしく思い出された。


多分彼女は覚えていないだろうな・・・・
そんな予感がしていた。