鹿内春雄記念アルバム


道に迷ったとき、
このアルバムを捲る。
それは「鹿内春雄アルバム」
鹿内春雄氏の笑顔に出会えるからだ。
鹿内春雄氏はフジサンケイグループの議長として様々改革と事業を行った。
1982年の「笑っていいとも」スタート、1983年の「南極物語」の公開。
1985年のフジテレビの新しい目玉のロゴマーク
1987年のコミュニケーションカーニバル夢工場
そして「スターライト・エクスプレス」
1988年の600億の巨費を投じた産経新聞のカラー化。
そうした業績もさることながら、
この方の最大の魅力はそのあたたかい笑顔にあると思う。
その笑顔を見ると勇気づけられ前進しようとする力が湧いてくる。


鹿内春雄氏は42歳の若さで鬼籍に入られた。
作詞家の阿久悠氏のことばを借りれば、
その死は「突然の日蝕」だった。
父親である鹿内信隆フジサンケイグループ初代議長のことばが印象深い。
「春雄は桜の散るなか男の花道を六方踏んで昇天していった」
「私は、そう思いたい。素晴らしい人生、最高の人生であったと考えたい。」
美しくも切ない息子への哀悼のことば。