情報のラマダン 


 私は一年余り、イスラムの国で駐在生活をしていた。イスラム教にはラマダンという断食の期間がある。そのラマダンのただ中で、日本のことをあれこれ考えをめぐらした時、情報国家日本を生きる処世術として、実にこのラマダンの必要性を感じた。そう、情報の断食をである。
 今、先進国では余暇の処理の仕方が人々の関心を集めている。
一昔前、時間のおつりをいかに捻出しようか人類は躍起になっていた。人類はそれゆえ様々な発明をくり返し、技術革新を重ねることで、仕事あるいは家事の短縮化を計り、膨大な時間のおつりの恩恵を得ることになった。
 ただし、おつりの使い道は商業マスコミの手の内にあることも確かだ。情報のシャワーを毎日絶えまなくわたしたちは浴びている。
 だからこそ、一時的な情報の断食をすることも精神衛生上有効な手段ではないか。
断食状態の情報を遮断し、散策による哲学的瞑想、あるいは詩の創作といった自分の手持ちの知識や思考で何かを創り出す行為も必要だと思うのだ。
 時間のおつりを精神のビタミンに変えるのは、まさにこの情報のラマダン(断食)にあるのではないだろうか。


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