観念的恋愛論


まだ十八才の学生の頃、先輩達に囲まれて
“君にとっての恋愛とは何だと思う”と
質問され「止揚だと思います」と答えたことがある。
一瞬、先輩達は、何をこいつは言っているんだろう
といった顔をしたのを覚えている。
今から思うと、十八才の若者の答えとしては、
理屈っぽい返答であるし、なによりも観念的過ぎて分かりにくかったと思う。
当時の先輩たちから、私は少々取っ付きにくい存在だったかもしれない。
さて、その取っ付き難い、理屈っぽい私が何故、恋愛は「止揚」と答えたのか!
止揚」とは、ドイツ語で「アウフヘーベン」を意味する。
いわゆるヘーゲル弁証法の理論である。
男と女という異なった性が、より高い価値観、
あるいは生命を生み出すことをイメージして発言したと思う。
この考えは、今もあまり変わっていない。
観念の恋愛と現実の恋愛。
ただバブル以降、少々恋愛が男と女の心理戦のようになり、
ステーキをたらふく食べたように、心がもたれた気分になったことがある。
観念のラビリンス、恋愛弁証法の中に私はいるようだ。



弁証法(べんしょうほう)
ものごとは、自分の内部にたえず矛盾をうみだし、これをより高次の統一において解決しながら発展していくという哲学。


止揚(しよう)
衝突する二つの概念をいっそう高い段階で統一すること。揚棄(ようき)アウフヘーベン


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