吉兵衛の恋


1582年の清洲城
千代(仲間由紀恵)は、お市大地真央)に呼び出される。
お市は、千代に別れを言うために呼んだと話す。
「そちとは、敵味方となるのじゃ」
秀吉と勝家は、もはや抜き差しならぬ仲となっていた。
お市は、千代が縫った内掛けを北の庄城に持って行くと告げる。
お市の言葉に涙する千代。
千代とお市は惜別の情溢れ、互いの手を取り合うのだった。
ところで、山内家では、新たな侍女が増えた。
名をたき(細川ふみえ)と言い、
吉兵衛(武田鉄矢)の破れた袴に、父親の面影を重ね涙するのだった。
たきに慕われた吉兵衛も、まんざらでもないが、
一豊(上川隆也)への、忠勤一筋と考へ、たきに自分の心と裏腹の言動をする。
そんな女心の解からぬ吉兵衛に、千代はやきもきするのだった。
「吉兵衛しっかりしなさい」
と思わず叱咤激励する千代だった。


今回は、千代が一豊に、励ましの言葉を数多くかけている。
「この世は陽気に生きなければ損でございまする」
「暗いお顔は人に疑いをもたせまする」
「ともに、夢を描きましょう旦那様」
一方、対象的なのは、柴田勝家勝野洋)に対する妻お市の態度である。
秀吉(柿本明)の天下を阻止せんと、執念を燃やすお市の方
勝家に「筑前に負けてはなりませぬ」と、恐妻ぶりを発揮しはじめる。
主君の妹ゆえ、勝家も頭が上がらない。
千代と一豊、お市と勝家、今回の「功名が辻」は、
それぞれの夫婦の未来を暗示するかのようだ。
本日の「功名が辻」で印象が残った言葉は、


「戦場にいけぬわたしたちが出来ることは、祈ること」


という千代の言葉であつた。
奇しくも、今日イラクから自衛隊が撤退をはじめた。
古い言い方だが、銃後の守りの家族は、
千代と同じ気持ちであったろう。
自衛隊員の、無事全員の帰還を祈りたい。
そんなことを考えさせられた、千代の言葉であった。


お市と勝家の面白い逸話があるので、
「日本史に学ぶ女の器量」童門冬二著から引用させていただく。

お市は少女の頃の思い出を話した。それは、岐阜城でよく勝家を
馬代わりにして、その背にのっては勝家の長いヒゲを手綱の代わりに
引っ張って、「ヒゲの権、ヒゲの権」と呼びながら、
座敷中を走りまわり、周囲の人間を笑わせたことである。
お市の話を聞いて、勝家は相好をくずした。』


お市35歳、勝家61歳の夫婦。
父と娘ほどの、年の差夫婦である。
戦国きっての美人の誉れ高いお市の方は、数奇な運命に翻弄されたが、
武骨ゆえに、誠実な勝家との夫婦愛を育んだ。
お市を高嶺の花と、憧れた秀吉。
秀吉は見果てぬ夢を、
お市の娘、茶々(淀の方)を寵愛し、自らの側室にすることで果たした。
そして、その茶々への寵愛こそ、豊臣政権崩壊の引き金になるのだ。



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