女の一生

「野菊晴」という句集を寄贈していただいた。
差出人は、御本人ではなく、御主人の名前であった。
「金子キクエ遺句集」と印刷されていた。
作者が生前書き残された俳句を、ご主人が遺句集として、出版されたのだろう。
作者は、私と同じ俳句の結社の方だが、残念ながら面識はない。
私は、この句集を通して、金子キクエというご夫人の
為人(ひととなり)を慮るだけである。
そして、この遺句集が、
大切なひとりの女の一生を、綴った句集であることは確かだ。


「柚子一つ乳房にふれし湯浴みかな」

「寒紅をひく手鏡を引き寄せて」

「青き踏むこころのひだに久女の句」



『柚子一つ乳房にふれし湯浴みかな』


冬至風呂の中で、自らの乳房に柚子がふれる。
女性の象徴の乳房に、触れる柚子ひとつ。
なにか、微笑ましい、まるで童女のような雰囲気さえ漂う、
パステルカラーのような俳句だ。


『寒紅をひく手鏡を引き寄せて』


この本の「序」で初めて知ったのだが、
寒中につくられた紅は品質がよく、色も美しいので、
寒によく売れると言われているそうだ。
寒中の辰(たつ)の日に売り出される紅は「辰紅」といって
最上品とされているとのこと。
作者は、季節を感じさせる女性だと思う。
ブランド物の口紅ではなく、
「辰紅」を引くことで、自分なりのおしゃれを楽しんでいたのだろう。
女性らしい仄かな恍惚感を、垣間見る佳句である。


『青き踏むこころのひだに久女の句』


久女とは、女流俳人の杉田久女のことである。
久女は情熱的な俳句を多く作っている。
「花衣脱ぐやまつわる紐いろいろ」
「われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華
「たてとほす男嫌いの単帯」
などの代表句がある。
作者のこころのひだには、こうした久女の情念の俳句に、
同じ女性として、あこがれるものがあったのだろうか。
それとも、心の奥底のマグマが、熱い息吹となり擡げるのか。
良妻賢母の作者と、女としての作者。
人間はいずれにしろ、矛盾を抱えて生きている、
アンビバレンスな存在だ。
私たちだれもが、もうひとりの自分の「心のひだ」に、
揺れる事があるのではないか。
三句いずれも、女性らしい感性の句である。
生前に金子キクエさんに、お会いしたかった。
キクエさん、天国からの贈り物、ありがとうございます。


*「朝日さし夫着ぶくれて釣に出づ」
 「梅雨蝶のわれを過ぎゆく旅心」
 「心には西方浄土花吹雪」
 なども秀逸の俳句である。


*単帯(ひとえおび) 綴れや博多帯など地質のシッカリしたものに
 多い。帯芯などは入れない。
 沙(しゃ)、羅(ら)、絽(ろ)など夏物に多くみられる。