良い核実験、悪い核実験


核実験に良い核実験と悪い核実験があるのだろうか?
核実験成功に、10万人ともいわれる祝賀式典をした、
北朝鮮を奇異に感じる私たちが、米国をはじめとした
西欧の核実験は、良いとは言はぬまでも、見過ごしているか、
あるいは、黙認しているのも確かだ。
地球を一つの生命体として考えれば、
米国の核実験も北朝鮮の核実験も、同じなのではないだろうか。
核実験は、最大の地球汚染の可能性もあるのだから。


一旦核爆弾を投下すれば、広島や長崎の原爆の通り、
一世代で終わらない、悲劇がもたらされる。
核実験は何処の国の実験でも、同じ核実験ではないか。
核実験は、核保有を齎す禁断の実験なのだ。
日本は、唯一の被爆国として、
非核三原則を国是としている。
そして他方、米国の核の傘で守られているのも、
歴然とした事実だ。
米国の核爆弾は、日本を守るためのでもあるという事実。
現実と理想の間で軋む、日本。
歴史の事実は、核の平和利用に徹することが、
日本国の繁栄をもたらすということを証明している。


禁断の実(核爆弾の保有)を味わった者は、
麻薬のように、なかなかその禁断の実を破棄できなくなる。
原爆のことを、被爆者の方が語られた。
『空から悪魔が降ってきた』