女流俳人

三橋鷹女、橋本多佳子、鈴木真砂女
いずれも、私が表現者として、尊敬する女流俳人だ。
そして、真の愛を俳句という文芸に織り込んだ女性達だ。
2006年11月19日の朝日新聞の、「折々のうた」に、
鈴木真砂女まさじょ)の俳句が、掲載されていた。


   悪相の魚は美味(うま)し雪催(もよい)


真砂女は、銀座で「卯波」という小料理屋の女将を、
90歳まで努めていた俳人だ。
悪相の魚は、確かに美味しい。
観賞用の魚、例えば、金魚や熱帯魚はどうも美味しそうに思えない。
折々のうた」のなかで、大岡信が解説している通り、
冬の季語「雪催」から察するに、さしあたり鮟鱇(あんこう)なのかもしれない。
彼女は、悪相の魚に、何かしら人生の味わいを重ねているのだろうか。
鈴木真砂女の人生は、けして平坦ではなかった。
むしろ、波乱万丈の人生だった。


  羅(うすもの)や人悲します恋をして


人の妻でありながら、人の夫を愛した真砂女。
その現実を「人悲します恋」と俳句で表現する。
恋する相手の妻と、自らの夫への自責の念の中、
真砂女は強く生きてゆく。
小料理屋を開き、自立して生計をたてる道を歩む。


  あるときは船より高き卯浪(うなみ)かな


真砂女は語る。


「人生も浪の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちることもある。
 そして又浮かびあがる」


自らの業、救われない魂を持て余しながらも、
けして真砂女は逃げず、凛として、人生と向き合う女性であった。
真砂女は、生と死の狭間で揺れる、危うい岐路もあったのだろう。
こんな俳句も彼女にはある。


  死なうかと囁かれしは蛍の夜


恋人か、それとも自分の内なる心の声か、
そんな死への誘惑もあったのだろうが、
鈴木真砂女は96歳の大往生まで、女として生き抜く。
晩年の真砂女の俳句に、人生を達観した境地を、私は感じる。


  来てみれば花野の果ては海なりし