実朝の詩魂


小林秀雄の「実朝」吉本隆明の「源実朝」から印象に残る文章を引用する。


『悲しい心には、悲しい調べを伝えているのだろうか』
   小林秀雄著 「実朝」


『もし実朝が中世における第一級の詩人であったとすれば、
本質的な意味での詩人実朝という意味は、しりぞくことも(死)、
またすすむことも(死)という境涯ではじめて問われねばならなかったであろう。』
   吉本隆明著 「源実朝


源実朝は、どこか諦観した人生観をもった将軍に思える。
歌人実朝は、(死)のプレリュードを奏でる。


将軍実朝の(死)は、鎌倉武門社会で、運命づけられていたにせよ、
和歌は、歌人実朝みずからの意志による、自立した運命づけでもある。


武士でありながら、貴族的になり、破滅した平家一門。
武門が律令王朝の衣を纏えば、
武門は、骨抜きになり、律令王朝の制度にまるごと呑み込まれる。
実朝は、位階の昇進と和歌作り、宋への渡航に熱心だったが、
それはきわめて、個人的なものであった。
実朝は、幕府の頂点に立つ権力者というより、
むしろ、源氏の嫡流として、鎌倉幕府の象徴的存在だった。


源氏の出自の鎌倉幕府三代将軍、源実朝
彼はまた、類希な歌人でもあった。
魂の孤独を、万葉調の歌風に認めた実朝。
一見、伸びやかな作風のなかに、
実朝の蒼き魂が潜んでいる。
「悲しい心には、悲しい調べを伝えるのだろうか」
小林秀雄は、自らの魂の孤独を実朝の孤独に、乗り移ることで、
批評の新たなる技法と生命を吹き込む。


抜き差しならぬ(死)の予兆に抗う、実朝という詩魂に、
私は、どうしようもなく魅かれる。
何かが弾け、何かが消え行く孤独感。
夜明け前の蒼い空のような、透明な孤独。


実朝は、確かに歴史上では、あの鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏に隠れていた、
公暁に殺された。
鎌倉三代将軍は殺され、源氏の嫡流は途絶えたのだ。
しかし、皮肉なことに、この事件で、
歌人実朝の神秘性は、ますます高まる。