「哲学の現在」再読


中村雄二郎著「哲学の現在」を再読している。
最初にこの本を読んだのは、
海外の仕事がしたくなり会社を辞めて転職した頃だった。
どうして哲学書に私の食指が動いていたのか判然としないが、
新天地への高揚した気持とは裏腹に、
新しい仕事への不安もあり、
この「哲学の現在」に心の拠りどころを求めていたのかもしれない。


あれから20年以上が経ち、再読したのだが、
読み進むうち、現在の自分自身の内奥と響きあう言葉に出会った。


「生まれてきたのは自分の意志でなくとも、
 生きるのは自分が生きなければならない。」
「充実感のうちに積極的に考え、
 手ごたえのあるかたちで生きることだろう。」
「よく考え、よく生きるとは、考えることや生きることを
 どんな障壁のなかででも悦びにかえることでもあるだろう。」

  哲学の現在 中村雄二郎


最近何かから脱皮したい願望がある。
人間は思春期があり、この時期は大人になる脱皮の時期かもしれない。
ミドルの思春期ではないが、
身体的にも精神的にも価値観にしても、
見直す時期のような、そんな気持がある。
手ごたえがほしいのだ・・・
そんな欲求が強くなりつつある。


あまり背伸びせず、
等身大の自分を大切にしながらどんな障壁のなかでも、
悦びにかえられればと思う。


「哲学の現在」−生きること考えることー
 中村雄二郎著は面白い。